2009年10月25日日曜日

自治区に入って肝試し?

パレスチナ自治区は、オスロ合意に基づいて
主に3つの区分に分類されています。

area A、B、Cと呼ばれるそれら3つの区分は、
イ・パどちらの当局が行政・治安を担当するかが違います。

まず、A。
これは
行政⇒パレスチナ自治当局
治安⇒パレスチナ自治当局 です。
主に大都市はこの部類に入ります。
(ヘブロン協定のあるヘブロンは除く)

Bは、
行政⇒パレスチナ自治当局
治安⇒イスラエル国防省

Cは、
行政⇒イスラエル国防省
治安⇒イスラエル国防省
主にイスラエル人入植地がCにあたります。


それぞれの地域の入口には検問が設けられ、
パレスチナIDカードを持つパレスチナ人は、
Cに入ることはできません。
同様に、イスラエルIDカードを持つイスラエル人は
Aに入ることは許されていません。

(道路はどうなのか…というと、
 西岸内では幹線道路の一部を共有しています。
 でも、基本的にAに繋がる道はパレスチナ人、
 Cに繋がる道はイスラエル人しか使うことができないのだそう。)



そうやってエリアが分けられている中、
検問を文字通り、巧みにすり抜けたり乗り越えたりしながら
自治区のAエリアに入ってくるイスラエル人たちもいます。
今日は、そんな人たちの話。(前置きなげぇ)

* * *


まず、よく見かけるのは平和活動家。
ビルイーン(Bil'in。ビリン、と日本では呼ばれています)や
ウンム・サルムーナ(umm salmouna、ベツレヘム付近の村)等で
壁や占領体制に反対運動を展開する人たちです。
男性も女性もいます。


その中の一人は、日本で言えばアラサーくらいの女性。

私がビルイーンでのデモを見学しに行った際に出会った彼女は、
ヨルダンでの国際イベントで再会した時に
お酒を片手にこう語りました。



「私は、家族の中に溶け込むことができないの。

 私の祖母はルーマニア出身で、ホロコーストを体験したのよ。
 彼女は、私に会うたびに言うの。
 『なんでそんな活動をしてるんだ、やめなさい』って。
 私の周りの肉親は、みんな反対してるわ。

 それでも私は、これをやらなければいけない気がしているの。
 やらずにいられないのよ」





他にもジャーナリストなどが西岸に入ってきますが、
私が一番驚いたのは、「肝試し学生」




ビルイーンで仲良くなったジャーナリストのおやじ。
風呂には一週間に一度しか入らず、
穴のあいたボロボロのTシャツを着て、
ヒッピーと呼ばれるおやじ、ムヒーブ。

彼は1/4がハンガリー系ユダヤ人、
3/4がパレスチナ人だそうで、
道を歩けばイスラエル人と間違われ警戒されるような風貌。


彼とビルイーン村を訪ねた帰り、
彼の紹介で乗合バスに乗り込んできた6人くらいの若者がいました。
アラブ人ではない身なりと顔立ち。
でも外国人留学生にしては若すぎる雰囲気。



なみ:「ちょっとムヒーブ、誰よこの人たち」

ムヒーブ:「イスラエル人の学生たちさ」



彼らは「自治区内でヘブライ語を喋らないように」と
言い渡されているらしく、
互いに交わす言葉はとても少ないまま
バスの中から外を見まわしていました。


その後、ラーマッラーの中心に着いてバスを降り、
きょろきょろと辺りを見回すヒヨコのような彼らを
ムヒーブはイスラエル人ジャーナリストに引き渡していました。
彼らはこれから街のツアーを行うそう。



その後入ったマクハー(カフェ)で、
ムヒーブは水タバコを吸いながら言います。


「あいつらは、17歳かそこらの若造だよ。
 肝試し感覚で、西岸に入ってくるんだ。

 危ないからヘブライ語を喋るなと言っても喋るし、
 危ないったらありゃしない。
 過激なやつに袋叩きに遭うかもしれないじゃないか」



確かに、彼らの赤い短髪や短い袖はちょっとパンクで、
ごみごみしたラーマッラーの風景の中でさえ浮いていました。


あの時に肝試しを終えた彼らは、
今頃、イスラエルの兵役の終盤を迎えているはずです。
(兵役拒否していなければ。)


あの時、彼らは何を見、何を感じ、
イスラエルに何を持ち帰ったのかなぁ。
二回、三回と自治区を訪ね直したのかしら。
自らに貼られたレッテルを、剥がそうとしたかしら。
それとも、肝試しで終わったのかなぁ。

と、今でもたまに思う並木でした。

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