西エルサレムやテルアビブを歩くと、
タイとかフィリピンっぽい女の人たちがいっぱいいます。
物価が安い東エルサレムで買い物をしている彼女たちを
見かけることも。
留学中、ふとしたきっかけで、
私は彼女たちのコミュニティにお邪魔したことがあります。
それは、2006年12月末のことです。
デンマーク人留学生ヘンリックと私は、
テルアビブのクラブで新年を迎えるドイツ人集団と合流すべく
エルサレムからテルアビブに向かっていました。
20シェケル、小1時間の乗合バスの旅です。
当時ヘブライ語の数字を覚え始めた私は、
ふとしたキッカケで隣の席のおっちゃんと英語で話し始め、
ヘブライ語で「あけましておめでとう」を教わったりしていました。
そしてさらにふとしたキッカケで、
私の口からアラビア語がポロリと出てしまったのです。
おっちゃんは私の顔をまじまじと見て、
「君、アラビア語を喋るのかい?」
なみ:「うん、ビールゼイトに住んでいるからね」
彼:「私もアラビア語を喋るんだよ!」
という訳で、おっちゃんはアラブ人でした。
ヘブライ語も英語も喋るなんて、羨ましい。
なみ:「テルアビブに何しに行くの?」
彼:「これから友人のパーティーがあるんだ。
そうだ、君達もおいでよ! きっと楽しいぞ!!」
なみ:「どうするヘンリック、行ってもいい?」
ヘンリック:「あー、俺はビールが飲めれば何でもいい…」
じゃぁ、一時間くらい寄り道していこうかな。
連れていかれた先は、
テルアビブのバスステーション近くの寂れた通り。
夜も10時となれば人通りは少なく、
ゴミやら何やらが散らかっていて怪しげな歩道。
そんな歩道に面した、人一人が通れるくらいの細いドア。
狭い通路。急な階段。
それを登ったところに、目的地はありました。
着いたところは1Kのアパートの一室。
10人くらいのアジア系の女性や子どもたちが、
クリスマス・パーティーの準備をしています。
袋からゴソゴソとカールスバーグを出しながら、
おっちゃんが言います。
「彼らはクリスチャンなんだけど、
クリスマスには休みが取れないんだ。
だからこうやって、週末や年末に集まるんだよ」
なみ:「どこの人たちなの?」
おっちゃん:「フィリピン人。あそこの男はエジプト系イスラエル人だよ」
なみ:「夫婦なの?」
おっちゃん:「あぁ、隣に座ってる女とね。
子どももいる。正式に結婚しているとは言えないけどね」
話している間にどんどん並べられていくアルミ皿には、
豚肉の入ったフィリピン料理が山盛り。
まさか、イスラエルで本場フィリピン料理を食べるなんて。
今まで外語祭でしか食べたことなかったのに。。。。
ぽかーんとしている私を笑いながら、
彼は続けます。
「彼らはね、国で働けば一月300ドルしか貰えないんだ。
でもイスラエルで働けば一月1000ドルだよ。
介護や工場の仕事をするんだ。
だから、夫や子どもを置いてここに来る。
イスラエル政府も労働ビザを簡単にくれる。
でもな、ビザは5年限りなんだ。
イスラエル政府は簡単にはビザを更新させてくれない。
君なら、5年で働くのを止めて帰るか?
仕送りが必要なんだ。だから働かなきゃいけない。
ここにいる彼らの半分は、不法労働者だよ」
「10人で1Kのアパートを借りて、シェアする。
彼らはあまり家には帰ってこられないからね。
寂しくて、こっちで新しいパートナーを見つける人もいる」
そう言ってビールに口をつけると、彼は続けます。
「俺だって、そういう話があったんだ。
俺は奴のことがとても好きだった。
きれいで、すてきなフィリピン人の女だよ。
でもなぁ、難しいんだ。簡単な話じゃない。
だから『止めよう』って言ったんだ」
乾杯の音頭。
ビールを飲んでご満悦のヘンリック。
エジプトとデンマークのハーフであるこのお兄さん、
どこに行ってもマイペースです。
(後ろにいる赤いのがおっちゃん)
皆で飲んで食べて、イス取りゲームをし、
しまいには踊りだす。
お互いの額の間にミカンを挟んで、落とさないように踊るゲーム。
おっちゃんは酔っ払って調子に乗り、
そのへんに落ちていた新品の赤いTバックショーツを
頭に被って踊り始めた。おいおい。
彼を指さして笑う女たち。
そんな中、私はちょっと所在ない気分だったのを覚えています。
だって私は、部外者ではないからです。
こうやって、
外から労働力を持ってこないと回らないイスラエル社会。
誰かの紹介を受けて遠い地へ移り、
家族と離れて毎日働き、
厳しい環境を生き抜く女の人たち。
何か、私が向き合わなければならないものを思い出しました。
0 件のコメント:
コメントを投稿