2009年12月18日金曜日

テルアビブの車事情

ある夏の金曜日。
とある会合で知り合った
親日家のユヴァル氏(超美形だが残念ながら二児の父)
に誘われました。



ユヴァル:「うちの娘たちと奥さんが海行きたいっていうから、
      テルアビブまで迎えにいくよ!
      海行こう!」



彼らが住むのは、
西岸とのグリーンラインのすぐ外、カルキリヤの西、
カフル・サヴァ。
そこから車で出てきてくれたユヴァル一家と共に、
一日を過ごしました。



驚いたのは、
テルアビブの繁華街が金・土曜日でもオープンしていること。
ユダヤ教の決まりでは安息日であるにも関わらず、です。

宗教的な匂いのするエルサレムで店を開けようもんなら、
正統派ユダヤ教徒たちに石を投げられること請け合いですもん。
(お陰でハリポタが土曜日に全世界同時発売されても
 イスラエルの本屋では売りだせない、
 なんて事件が過去にあったなぁ)



まぁそんなわけで、
お陰様で海沿いのレストランでのディナーを楽しんだ我々。



しかし車まで戻ってみると、
辺りは数台の車のアラームで騒々しい。

それを見たユヴァルが一言。



ユヴァル:「またか…」


なみ:「またかって、どういうこと?」


ユヴァル:「いや、テルアビブで車の盗難は日常茶飯事なんだよ。
       だから皆セキュリティシステムを付けてるんだ。
       あのアラームはシステムの作動音さ」


なみ:「そうなのね」



ユヴァル:「一度盗まれたら最後、二度と戻ってこない。
       だって、やつらは西岸に持って行ってしまうからね」




あぁ、つまりそれは、



テルアビブまで出てきたパレスチナ人が車を盗んで、
西岸で売りさばいているってことなのね。




実際にそうなのか、
それともそう思われているだけなのか。
それは、まだ私には分かりません。

2009年12月7日月曜日

お金は大事?

ある日の朝のこと。
エルサレムのホステルからヘブライ大学まで通学途中、
バス停前にある食品雑貨店で、
7シェケルのペットボトルジュースを買おうと思った並木。
(1シェケル=25円くらい)


しかし、並木の手元にあったのは100シェケル札。



並木:「あのう、ちょっと大きいお金になっちゃうんだけど…」

店主のおやじ:「あぁ、いいよ。こうするから」



と言い放ったおやじ、

100シェケル札を……





破いた。

びりっと。真っ二つに。





並木:「………。」



口をあんぐり開けてぽかんとしている並木を見て、
おやじはハッハッハと笑いながら言い放ちました。



おやじ:「まぁまぁ。所詮紙なんだから~。」



そう言いながら、セロハンテープを紙幣にペタリ。
いや、そりゃ紙だけど。







しかし、破るとはいかないまでも、
中東のお金は概して使い込まれたヘロヘロのお札が多いと思う。
まるで布のよう。
そしてメモ書きや千切れがあるのも当たり前。
「おいおい、もっと大事にせいよ」と突っ込みたくなります。

ちなみにこれがエジプトの25ピアストル札。
誰ですか、「100」なんて書きこんだの。



ちなみにパレスチナ自治区で流通しているシェケルは、
イスラエルの通貨です。

でも西岸ではヨルダンのディナールも使えたりします。
以前、西岸はヨルダンの支配下にあったからです。
(だから「ヨルダン川」の「西岸」って呼ぶんだよね)



両替所の人にお金について聞いてみた。



なみ:「シェケルとディナール、どっちがマシ?」



返ってきたのはこんな答え。



「そりゃぁ、シェケルは嫌いさ。イスラエルの金だ。
 ディナールも好かないね。
 ヨルダンだってイスラエルと似たようなもんさ。

 でも、贈答用にはディナールが人気だよ。
 アラブだから、まだマシだと思ってるのかな。
 最近はドルって手もあるらしいけど、
 所詮アメリカの金だからなぁ。」



昔々は、パレスチナのコインなんてものもありました。



写真は、シリアのアンティークショップで見つけたもの。
100年くらい前の品物です。





ちなみに「お金を細かくする」という表現は、
この両替商のお兄ちゃんに教えてもらいました。



なみ:「お金を崩したい時って、qassam(分ける)って言うの?」


両替商:「それは…こうやることさ(ニヤニヤ)」



そう言って彼はお金の真ん中を二つの手でつかんで、


ビリッと切れ目を入れた!!!
またかよ!!!





両替商:「これからは『Sarraf』って言いな(笑)」






…はい。
道端が私の語学学校です。

2009年12月4日金曜日

寒いんだぞこらぁっ。

断言します。


西岸地区の冬は、




東京の冬より寒い。


まじ寒です。激寒です。
「パレスチナって、常夏でしょ~★」
という輩は非常に多いのですが、
半袖で冬のパレスチナに放り出してあげたいです。




どのくらいMAXで寒いかと言えばですね、
私は毎晩パジャマを二重に着て、
コートを着て、
毛布を3枚かけ、
羽根布団を2枚かけてもまだガタガタする
ような寒さです。
ナメてはいかんのです。

その原因は、2つ。
まず、高度の高い立地。
そして、夏の日差しの中でもヒンヤリするようにできている、
つるつるの肌色エルサレム・ストーン製の家。
こいつが底冷えを呼びます。



そして冬といえば雨。
中国製のカサ(シャムスィーエ)なんて役に立たず、
バケツをひっくり返したような勢いで降る雨。
梅雨なんてメじゃない。
家の前の坂は常に小川。ミニ滝。
スニーカーで歩こうもんなら1秒で足が水没です。



「へぇ、雨なんて降るんだ」と思われるでしょうが、
パレスチナでは「雨」と「冬」の結びつきがとても強いのです。

「冬=雨季」というべきか、冬と雨が同じ言葉です。
雨が降っている時、彼らは「世界が冬だね(addoniya toshtee)」と言います。
恵みの雨でもあり、
若者は雨の中、傘もささずにピョンピョンしていたりします。
風邪をひかないのか非常に心配です。



ちなみに、たまに雪も降ります。
その時は大人から子どもまでおおはしゃぎ。


ナーヘル兄(27)はニヤニヤしながら言います。

「雪が降るとよぉ、
 みんな雪玉を投げて遊ぶんだ。
 そんな時はさ、
 ヒジャーブ被った女の子に雪玉をぶつけたって
 お咎めナシさ。
 こんな出会いもアリだろ?(笑)」



まぁ、
「雪の日に出会った」なんていうのは
ロマンスが好きなパレスチナ人に似合う気がします(笑)。
でも私を標的に雪玉を投げてくる男・子どもらには辟易した、
2006年の冬でありました。