留学期間も半分以上が過ぎた2007年春。
たまたま知り合ったパレスチナ人ジャーナリスト・ムヒーブが
「俺はミシマが好きなんだ、
ミシマの国から来たマイが羨ましい」
と言ったことは、
私にとってかなりの衝撃でした。
何故って、
それまでの8ヶ月間、ある例外を除き、
パレスチナ人の口から
日本の著名人の名を聞いたことが無かったからです。
うわぁ、新鮮。
トヨタやホンダ以外を知っている人がいるなんて。
(ちなみにイスラエルでは村上春樹が有名。
彼の作品が好きな気持ちも分かる気がする。)
唯一の例外、
パレスチナ人が誇らしげに「知ってるよ!」という日本人の名前、
それは、
「クズモト」
????
なみ:「誰よそれ」
彼ら:「君は同胞の名を知らないのか?!
ありえない!」
なみ:「ほんとにそんな名前なの?」
彼ら:「そうとも! ほら、赤軍の、イスラエルに逮捕された…」
..........。
あぁ!
オカモト・コウゾウだ。
かつてイスラエルはテルアビブの空港で
銃を乱射した日本人。
パレスチナ人との連帯の名の下に、
テロを起こした日本人。
彼のおかげかどうかは知らないけれど、
イスラエル当局は今でも、
日本人の「オカモト」さんの入国審査に厳しいとの噂。
そんなオカモト・コウゾウさん、
oとeが上手く発音できないパレスチナ人の間では
「コウゾウ・オカモト」
↓
「クズ・ウカモト」
↓
「クズモト」
と勝手に名前が変わってしまったらしい。
自信満々に「クーズーモートー」と言い放ってくる彼らを見ていると
「誰がそんな名前を…」と切なくなってくる。
何はともあれ、
日本ではすっかり忘れ去られている彼は、
パレスチナ人にとって日本人の代表である模様。
「ブルースリーの国から来たんだよね!」
と言われるのも嫌だけど、
「クズモトの国から来たんだよね!」
と言われるのも微妙。
私としてはぜひ、
ここらで福山雅治あたりに有名になってもらいたいのですが、
どうしたもんかなぁ。
2009年11月7日土曜日
アラビア語方言のお話
「アラビア語喋れると、どこでも通じて便利でしょ~」
なんて言われますが、
実はアラビア語はかなり面倒な言語だと思います。
中東全域で使えるようでいて、
意外に使えないからです。
使えないその訳は、
外国人が学ぶアラビア語と。
現地で各地の人々が喋るアラビア語の「大きな差」。
例えばパレスチナ方言を喋る私は
モロッコ人の言うことがさっぱり分からず、
そこで共通語を喋ろうとすると
とても堅苦しい話し方になってしまいます。
私達がアラビア語を日本で勉強しようとする時、
初めに習うのは「フスハー」と呼ばれる正則語。
コーランや新聞、ニュースを読み聴きするための言語です。
しかし市井の人々が話す言語は「フスハー」ではなく、
「アーンミーヤ」と呼ばれる方言。
現地でも、コーランを読まなかったり学校に通わなかった人々は
フスハーを解することが難しいものと思われます。
それほど、使わない言葉なのです。
だから、フスハーをマスターしたからといって
現地の人々ときちんとコミュニケーションが取れるわけではなく、
中東各地域の諸文化を読み取るには
フスハーでは不足してしまいます。
方言も地域によってそれぞれ。
湾岸方言、シリア方言、エジプト方言、
モロッコ方言、イラク方言等があり、
更にそれぞれの中でも地域によって微妙な違いがあります。
例えて言うなら、
エジプト方言は日本の大阪弁。
(人々のノリ的にも大阪っぽい。)
モロッコ方言はシリア方言話者にも分からなかったりするので
琉球語といったところ?
シリア方言は雰囲気的に京都弁っぽいですが、
大阪弁であるエジプト方言とはかなり違います。
イラク、湾岸はベドウィン系。何弁に例えればいいんだろう?
パレスチナ方言を喋る私は、
シリア方言カテゴリに属しつつも
「田舎者だね~」的な雰囲気の喋り方であるようです。
そんな私の言語歴はというと、
東京外国語大学でフスハーを3年(落ちこぼれ)
↓
パレスチナに渡航
↓
フスハーを喋っても通じず、
相手の喋ってることが分からず、
買い物をするにも困る
↓
パレスチナ方言の日常会話を何とか習得
↓
エジプトに行ったら周りの言ってることがサッパリ
↓
シリアに行ってもたまに単語が分からない
↓
帰国後、フスハーの授業で赤を取る
といった感じ。
という訳で、
どこでもアラビア語が喋れる人材になるためには、
フスハーをきっちり学んだ上で
方言を幾つか学び、その構造を理解する必要がありそうです。
何せ、方言それぞれで文法や音の崩し方がそれぞれ違う。
シリア方言では未来形と現在進行形が同じ表現になる一方で
エジプト方言にはきちんと未来形があったりする。
シリア方言ではとても丁寧な言葉が、
モロッコ方言では口にしてはいけない言葉になったり。
エジプト方言ではj音をg音で発音するけれど、
湾岸方言ではq音をgもしくはgh音で発音します。
という訳で、
アラビア語話者を通訳に採る時には
出身や方言も気にしてあげてくださいねー!
というお話でした。オチなしでおしまい。
なんて言われますが、
実はアラビア語はかなり面倒な言語だと思います。
中東全域で使えるようでいて、
意外に使えないからです。
使えないその訳は、
外国人が学ぶアラビア語と。
現地で各地の人々が喋るアラビア語の「大きな差」。
例えばパレスチナ方言を喋る私は
モロッコ人の言うことがさっぱり分からず、
そこで共通語を喋ろうとすると
とても堅苦しい話し方になってしまいます。
私達がアラビア語を日本で勉強しようとする時、
初めに習うのは「フスハー」と呼ばれる正則語。
コーランや新聞、ニュースを読み聴きするための言語です。
しかし市井の人々が話す言語は「フスハー」ではなく、
「アーンミーヤ」と呼ばれる方言。
現地でも、コーランを読まなかったり学校に通わなかった人々は
フスハーを解することが難しいものと思われます。
それほど、使わない言葉なのです。
だから、フスハーをマスターしたからといって
現地の人々ときちんとコミュニケーションが取れるわけではなく、
中東各地域の諸文化を読み取るには
フスハーでは不足してしまいます。
方言も地域によってそれぞれ。
湾岸方言、シリア方言、エジプト方言、
モロッコ方言、イラク方言等があり、
更にそれぞれの中でも地域によって微妙な違いがあります。
例えて言うなら、
エジプト方言は日本の大阪弁。
(人々のノリ的にも大阪っぽい。)
モロッコ方言はシリア方言話者にも分からなかったりするので
琉球語といったところ?
シリア方言は雰囲気的に京都弁っぽいですが、
大阪弁であるエジプト方言とはかなり違います。
イラク、湾岸はベドウィン系。何弁に例えればいいんだろう?
パレスチナ方言を喋る私は、
シリア方言カテゴリに属しつつも
「田舎者だね~」的な雰囲気の喋り方であるようです。
そんな私の言語歴はというと、
東京外国語大学でフスハーを3年(落ちこぼれ)
↓
パレスチナに渡航
↓
フスハーを喋っても通じず、
相手の喋ってることが分からず、
買い物をするにも困る
↓
パレスチナ方言の日常会話を何とか習得
↓
エジプトに行ったら周りの言ってることがサッパリ
↓
シリアに行ってもたまに単語が分からない
↓
帰国後、フスハーの授業で赤を取る
といった感じ。
という訳で、
どこでもアラビア語が喋れる人材になるためには、
フスハーをきっちり学んだ上で
方言を幾つか学び、その構造を理解する必要がありそうです。
何せ、方言それぞれで文法や音の崩し方がそれぞれ違う。
シリア方言では未来形と現在進行形が同じ表現になる一方で
エジプト方言にはきちんと未来形があったりする。
シリア方言ではとても丁寧な言葉が、
モロッコ方言では口にしてはいけない言葉になったり。
エジプト方言ではj音をg音で発音するけれど、
湾岸方言ではq音をgもしくはgh音で発音します。
という訳で、
アラビア語話者を通訳に採る時には
出身や方言も気にしてあげてくださいねー!
というお話でした。オチなしでおしまい。
2009年11月4日水曜日
暇なの?趣味なの?文化なの??
私が通っていた、西岸のビールゼイト大学。

丘のてっぺんにあるこのキャンパスに集う
各学部の学生たちは、
休み時間ともなると、通路のへりに鈴なりになって座ります。
韓国人や日本人を見るたびに沿道から
「チンチャンチョーン」と言ってからかってくる男が
うざいったらありゃしません。
が、しかし、このアホな彼らが必ずしも学生かといえば
実はそうでもなかったりします。
例えば、私の隣人アシュラフ(当時24歳)。
パレスチナ警察で働いて食いつなぐ高卒のこの男、
たまに用もないのに大学をほっつき歩いています。
アシュラフ:「よーミミ。元気か。勉強はどうだ。
ちゃんとやってるか?」
……余計なお世話です。
ちなみに「ミミ」とは私の愛称らしいです。
アシュラフは友人の男と腕を組んで、
構内を行ったり来たりします。
何分も何分も、
同じところを行っては戻り、戻っては進み。
一体何を考えてそんなことを……。
ま、しょうがないよね。
なんたって、パレスチナだもん。
公務員はもう半年(2006年9月当時)もお給料下りてないし、
仕事はなかなか見つからないもん。
大卒だってコネがなきゃ見つからないんだから。
暇をもてあましちゃうよね。
と思っていましたが、
同じ光景をシリアでも目にした私。
それは2009年春、
ダマスカス空港に朝2時に到着し、
夜が明ける6時までバスを待っていた時のこと。
腕を組んだ20代から40代の男どもが何組か、
だだっぴろい空港のロビーを歩く歩く。
煌々と明かりがついたロビーの中、
何もない空間に向かって二人組で一方向に突進し、くるっとUターン。
また歩いて戻りながら真面目な顔で何か話しこんでいる。
腕を組んだ男がもしょもしょ話してる光景は
何だか深刻な様子に見えますが、
聞こえてくる言葉は
「お前、だから言っただろ。俺はこう言ってやったんだよ、
分かるか? ほら、…」
「あぁ、それは分かってるけど…」
みたいな、
あれこれそれどれを駆使した他愛もない話にも取れます。
でもスーツケースを引くでもない、普段着の男どもが
朝4時に空港を歩き回っているのって変なの。
という訳で、
この無駄に歩き回って話し込む姿は
どのアラブ諸国に行っても見られるものなのか、
ちょっと気になります。
シリアも最近失業率が上がっているそうなので、
無駄に歩き回るのが流行ってるのかしら。
ちなみにシチリア出身の我が相方も
電話をしている時はあっちこっち行ったり来たりします。
シチリアでも、皆ビーチを行ったり来たりするらしい。
地中海性の習慣なのかなぁ。
丘のてっぺんにあるこのキャンパスに集う
各学部の学生たちは、
休み時間ともなると、通路のへりに鈴なりになって座ります。
韓国人や日本人を見るたびに沿道から
「チンチャンチョーン」と言ってからかってくる男が
うざいったらありゃしません。
が、しかし、このアホな彼らが必ずしも学生かといえば
実はそうでもなかったりします。
例えば、私の隣人アシュラフ(当時24歳)。
パレスチナ警察で働いて食いつなぐ高卒のこの男、
たまに用もないのに大学をほっつき歩いています。
アシュラフ:「よーミミ。元気か。勉強はどうだ。
ちゃんとやってるか?」
……余計なお世話です。
ちなみに「ミミ」とは私の愛称らしいです。
アシュラフは友人の男と腕を組んで、
構内を行ったり来たりします。
何分も何分も、
同じところを行っては戻り、戻っては進み。
一体何を考えてそんなことを……。
ま、しょうがないよね。
なんたって、パレスチナだもん。
公務員はもう半年(2006年9月当時)もお給料下りてないし、
仕事はなかなか見つからないもん。
大卒だってコネがなきゃ見つからないんだから。
暇をもてあましちゃうよね。
と思っていましたが、
同じ光景をシリアでも目にした私。
それは2009年春、
ダマスカス空港に朝2時に到着し、
夜が明ける6時までバスを待っていた時のこと。
腕を組んだ20代から40代の男どもが何組か、
だだっぴろい空港のロビーを歩く歩く。
煌々と明かりがついたロビーの中、
何もない空間に向かって二人組で一方向に突進し、くるっとUターン。
また歩いて戻りながら真面目な顔で何か話しこんでいる。
腕を組んだ男がもしょもしょ話してる光景は
何だか深刻な様子に見えますが、
聞こえてくる言葉は
「お前、だから言っただろ。俺はこう言ってやったんだよ、
分かるか? ほら、…」
「あぁ、それは分かってるけど…」
みたいな、
あれこれそれどれを駆使した他愛もない話にも取れます。
でもスーツケースを引くでもない、普段着の男どもが
朝4時に空港を歩き回っているのって変なの。
という訳で、
この無駄に歩き回って話し込む姿は
どのアラブ諸国に行っても見られるものなのか、
ちょっと気になります。
シリアも最近失業率が上がっているそうなので、
無駄に歩き回るのが流行ってるのかしら。
ちなみにシチリア出身の我が相方も
電話をしている時はあっちこっち行ったり来たりします。
シチリアでも、皆ビーチを行ったり来たりするらしい。
地中海性の習慣なのかなぁ。
2009年11月1日日曜日
婚約します!という時は
西岸地区ジェラゾン難民キャンプの友達ムシーラが
婚約した2007年6月のこと。
「婚約式するから、来てね!」と言われ、
カメラ持参で並木は隣村ジェラゾンを訪問しました。
そもそも男女関係というものは、
パレスチナ的慣習と日本でずいぶん異なっていると
私は思います。
日本では例えば、
並木がペッペを学食で逆ナン
↓
家に転がり込んで事実上の同棲を始める
↓
相手が真面目だったため、両親にも挨拶
↓
公然と同棲、婚約状態
というプロセスを取ってもOKな家庭もアリですが、
ムシーラが説明してくれることには、
パレスチナではこんな感じ。
「まず、両親が『そろそろ結婚しなきゃ』って言うでしょ。
そしたらツテを辿って、
良さそうな男性を両親が見つけてくるの。
それから実際に家族ぐるみで会ってみて、
金銭的にも性格的にも良さそうだったらまず婚約よ。
婚約式では盛大なパーティーをして、女の子は金の装飾具をもらうの。
それから、デートを始めるのよね。
どれだけ通ってくれるか、私の両親に対しての振る舞いはどうか…
とか、きちんとチェックするの。
期間は人によってそれぞれかな。
それで、良かったらそのまま結婚式。
ダメだったら指輪を返して 『バイバーイ』よ。(笑)」
バイバーイ、もアリだったんですね(笑)。
彼女は婚約しましたが、
2ヶ月後に再度訪ねてみたら
「あんまり私の親に優しくなかったから、
指輪返したわ。 バイバーイ、よ」 と笑っていました。
いつか、ママやパパにも優しくて、
あなたに仕事を続けさせてくれる男性がきっと見つかるよ、
ムシーラ。
別の女友達ズィクラヤートは18歳で婚約。
相手はパン屋で働いている20代後半の男性で、
毎日彼が仕事帰りに会いに来ていました。
「大学を出たら結婚するわ」とのこと。
デートと言っても、車の中で少し二人きりになる位。
遠くまで二人でお出かけ、というのはダメなんだそうです。
彼の運転する車を彼女の家の前に停めてもらい、
「マイ、ちょっと先に行っててね」と言ったズィクラヤートは
声色も表情も、
いつもの男勝りな18歳ではなく、
なんだか大人びた女性のようでした。
こうやって、ロマンスを楽しんでいるんだなぁ。
今頃は彼女も結婚の準備をしているかも。
2009年9月、エルサレムで出会ったバッセム。
私達の乗るミニバスを運転していた彼は、
運転中、しょっちゅう甘い声で電話をしていました。
並木:「ひょっとして、彼女~?(ニヤニヤ)」
バッセム:「あぁ、実は婚約したてでね(笑)」
よく見れば、薬指には銀色の指輪。
バッセム:「隣にアラビア語を喋る日本人の女の子がいるよ、
って言ったら嫉妬してるんだ、あいつ(笑)」
並木:「謝っといてね(笑)。
今日も仕事帰りに会うの?」
バッセム:「いや、一昨日会った」
並木:「毎日会わないの?」
バッセム:「何ていうか~…
だって、毎日会ったら、
こうやって嫉妬してくれなくなるだろ(笑)。
今がきっと一番いい時期なんだから、
距離は適度に取るんだよ」
うーん、戦略あり。
とはいえよく道を間違えたバッセム、
きっと今日も適度にボケつつミニバスを運転していることでしょう。
さて、ムシーラの婚約式から写真を。
娘に祝福のキス。
おめかしして踊る女の子たち。

男たちは外でコーヒーを飲む。
音楽を流すDJ役のお兄ちゃん。
婚約した2007年6月のこと。
「婚約式するから、来てね!」と言われ、
カメラ持参で並木は隣村ジェラゾンを訪問しました。
そもそも男女関係というものは、
パレスチナ的慣習と日本でずいぶん異なっていると
私は思います。
日本では例えば、
並木がペッペを学食で逆ナン
↓
家に転がり込んで事実上の同棲を始める
↓
相手が真面目だったため、両親にも挨拶
↓
公然と同棲、婚約状態
というプロセスを取ってもOKな家庭もアリですが、
ムシーラが説明してくれることには、
パレスチナではこんな感じ。
「まず、両親が『そろそろ結婚しなきゃ』って言うでしょ。
そしたらツテを辿って、
良さそうな男性を両親が見つけてくるの。
それから実際に家族ぐるみで会ってみて、
金銭的にも性格的にも良さそうだったらまず婚約よ。
婚約式では盛大なパーティーをして、女の子は金の装飾具をもらうの。
それから、デートを始めるのよね。
どれだけ通ってくれるか、私の両親に対しての振る舞いはどうか…
とか、きちんとチェックするの。
期間は人によってそれぞれかな。
それで、良かったらそのまま結婚式。
ダメだったら指輪を返して 『バイバーイ』よ。(笑)」
バイバーイ、もアリだったんですね(笑)。
彼女は婚約しましたが、
2ヶ月後に再度訪ねてみたら
「あんまり私の親に優しくなかったから、
指輪返したわ。 バイバーイ、よ」 と笑っていました。
いつか、ママやパパにも優しくて、
あなたに仕事を続けさせてくれる男性がきっと見つかるよ、
ムシーラ。
別の女友達ズィクラヤートは18歳で婚約。
相手はパン屋で働いている20代後半の男性で、
毎日彼が仕事帰りに会いに来ていました。
「大学を出たら結婚するわ」とのこと。
デートと言っても、車の中で少し二人きりになる位。
遠くまで二人でお出かけ、というのはダメなんだそうです。
彼の運転する車を彼女の家の前に停めてもらい、
「マイ、ちょっと先に行っててね」と言ったズィクラヤートは
声色も表情も、
いつもの男勝りな18歳ではなく、
なんだか大人びた女性のようでした。
こうやって、ロマンスを楽しんでいるんだなぁ。
今頃は彼女も結婚の準備をしているかも。
2009年9月、エルサレムで出会ったバッセム。
私達の乗るミニバスを運転していた彼は、
運転中、しょっちゅう甘い声で電話をしていました。
並木:「ひょっとして、彼女~?(ニヤニヤ)」
バッセム:「あぁ、実は婚約したてでね(笑)」
よく見れば、薬指には銀色の指輪。
バッセム:「隣にアラビア語を喋る日本人の女の子がいるよ、
って言ったら嫉妬してるんだ、あいつ(笑)」
並木:「謝っといてね(笑)。
今日も仕事帰りに会うの?」
バッセム:「いや、一昨日会った」
並木:「毎日会わないの?」
バッセム:「何ていうか~…
だって、毎日会ったら、
こうやって嫉妬してくれなくなるだろ(笑)。
今がきっと一番いい時期なんだから、
距離は適度に取るんだよ」
うーん、戦略あり。
とはいえよく道を間違えたバッセム、
きっと今日も適度にボケつつミニバスを運転していることでしょう。
さて、ムシーラの婚約式から写真を。
2009年10月29日木曜日
パレスチナで、あのアニメが?!
「インフラは大丈夫なのか?!」と心配されがちな
西岸地区ですが、
例えばテレビチャンネルで言えば、
なんと日本よりも多いです。(衛星放送)
大体どんなお家にでもパラボラアンテナが付いていて、
(勝手に)衛星放送を受信しています。300チャンネルくらい。
私たち留学生がよく見ていたのはBBC。
他にも、アラブ諸国のチャンネルが観られたり、
インドやヨーロッパの放送が観られたりします。
ジャンルも豊富。
ちょっと手が滑るとアダルトチャンネルを押してしまうので
チャンネルを操る時はヒヤヒヤです(笑)。
さて、色々な家庭におじゃますると、
大体夜はテレビの前に集まって
お茶を飲みながら、みんなで番組を観ます。
音楽番組で子どもらが踊りだしたり、
シリアやエジプトのドラマを真剣に観たり。
日本人の来客を喜ばせようとして、
たまに映るNHKや韓国の放送をつけてくれたり。
でも私が観て一番テンション上がったのは、
アラビア語で喋るとっとこ○ム太郎
であります。
現地では、
「ちびまる☆ちゃん」、「Pケットモンスター」、
「○ちゃんと僕」などなど、
日本のアニメもがっつり放送されていました。
(クウェートか何処かのアニメチャンネルだと思う)
「○ム太郎!! やばい、○ム太郎だ!!!
知ってる? これ日本のアニメなんだよ!!!」
と騒ぎまくった私ですが、
周りのリアクションは「あ、そうなの?」的な微妙さ。
中国映画が出てきた時は「見て見て、日本よ!!」なんて
あんなに騒ぐのに……。(笑)
どうやら日本のアニメは、観られてはいても
あんまり日本製であることを意識されていない模様。
ちなみにイタリア人の相方によると、
日本のアニメはイタリアであまりに人気であるため、
イタリア人旅行者が日本に来た際に
「キーコーヒーは美味いのか」と訊いてくれることがあるそう。
某青春野球漫画○ッチのインパクトが強いのでしょうか。
ちなみに友人はイスラエルで、
アニメ「○リーチ」をヘブライ語に訳しています。
まぁ、そんな訳で、
日本のアニメは中東でも頑張っているのであります。
西岸地区ですが、
例えばテレビチャンネルで言えば、
なんと日本よりも多いです。(衛星放送)
大体どんなお家にでもパラボラアンテナが付いていて、
(勝手に)衛星放送を受信しています。300チャンネルくらい。
私たち留学生がよく見ていたのはBBC。
他にも、アラブ諸国のチャンネルが観られたり、
インドやヨーロッパの放送が観られたりします。
ジャンルも豊富。
ちょっと手が滑るとアダルトチャンネルを押してしまうので
チャンネルを操る時はヒヤヒヤです(笑)。
さて、色々な家庭におじゃますると、
大体夜はテレビの前に集まって
お茶を飲みながら、みんなで番組を観ます。
音楽番組で子どもらが踊りだしたり、
シリアやエジプトのドラマを真剣に観たり。
日本人の来客を喜ばせようとして、
たまに映るNHKや韓国の放送をつけてくれたり。
でも私が観て一番テンション上がったのは、
アラビア語で喋るとっとこ○ム太郎
であります。
現地では、
「ちびまる☆ちゃん」、「Pケットモンスター」、
「○ちゃんと僕」などなど、
日本のアニメもがっつり放送されていました。
(クウェートか何処かのアニメチャンネルだと思う)
「○ム太郎!! やばい、○ム太郎だ!!!
知ってる? これ日本のアニメなんだよ!!!」
と騒ぎまくった私ですが、
周りのリアクションは「あ、そうなの?」的な微妙さ。
中国映画が出てきた時は「見て見て、日本よ!!」なんて
あんなに騒ぐのに……。(笑)
どうやら日本のアニメは、観られてはいても
あんまり日本製であることを意識されていない模様。
ちなみにイタリア人の相方によると、
日本のアニメはイタリアであまりに人気であるため、
イタリア人旅行者が日本に来た際に
「キーコーヒーは美味いのか」と訊いてくれることがあるそう。
某青春野球漫画○ッチのインパクトが強いのでしょうか。
ちなみに友人はイスラエルで、
アニメ「○リーチ」をヘブライ語に訳しています。
まぁ、そんな訳で、
日本のアニメは中東でも頑張っているのであります。
2009年10月28日水曜日
渋滞の原因はソレか!
2009年10月25日日曜日
自治区に入って肝試し?
パレスチナ自治区は、オスロ合意に基づいて
主に3つの区分に分類されています。
area A、B、Cと呼ばれるそれら3つの区分は、
イ・パどちらの当局が行政・治安を担当するかが違います。
まず、A。
これは
行政⇒パレスチナ自治当局
治安⇒パレスチナ自治当局 です。
主に大都市はこの部類に入ります。
(ヘブロン協定のあるヘブロンは除く)
Bは、
行政⇒パレスチナ自治当局
治安⇒イスラエル国防省。
Cは、
行政⇒イスラエル国防省
治安⇒イスラエル国防省。
主にイスラエル人入植地がCにあたります。
それぞれの地域の入口には検問が設けられ、
パレスチナIDカードを持つパレスチナ人は、
Cに入ることはできません。
同様に、イスラエルIDカードを持つイスラエル人は
Aに入ることは許されていません。
(道路はどうなのか…というと、
西岸内では幹線道路の一部を共有しています。
でも、基本的にAに繋がる道はパレスチナ人、
Cに繋がる道はイスラエル人しか使うことができないのだそう。)
そうやってエリアが分けられている中、
検問を文字通り、巧みにすり抜けたり乗り越えたりしながら
自治区のAエリアに入ってくるイスラエル人たちもいます。
今日は、そんな人たちの話。(前置きなげぇ)
* * *
まず、よく見かけるのは平和活動家。
ビルイーン(Bil'in。ビリン、と日本では呼ばれています)や
ウンム・サルムーナ(umm salmouna、ベツレヘム付近の村)等で
壁や占領体制に反対運動を展開する人たちです。
男性も女性もいます。
その中の一人は、日本で言えばアラサーくらいの女性。
私がビルイーンでのデモを見学しに行った際に出会った彼女は、
ヨルダンでの国際イベントで再会した時に
お酒を片手にこう語りました。
「私は、家族の中に溶け込むことができないの。
私の祖母はルーマニア出身で、ホロコーストを体験したのよ。
彼女は、私に会うたびに言うの。
『なんでそんな活動をしてるんだ、やめなさい』って。
私の周りの肉親は、みんな反対してるわ。
それでも私は、これをやらなければいけない気がしているの。
やらずにいられないのよ」
他にもジャーナリストなどが西岸に入ってきますが、
私が一番驚いたのは、「肝試し学生」。
ビルイーンで仲良くなったジャーナリストのおやじ。
風呂には一週間に一度しか入らず、
穴のあいたボロボロのTシャツを着て、
ヒッピーと呼ばれるおやじ、ムヒーブ。
彼は1/4がハンガリー系ユダヤ人、
3/4がパレスチナ人だそうで、
道を歩けばイスラエル人と間違われ警戒されるような風貌。
彼とビルイーン村を訪ねた帰り、
彼の紹介で乗合バスに乗り込んできた6人くらいの若者がいました。
アラブ人ではない身なりと顔立ち。
でも外国人留学生にしては若すぎる雰囲気。
なみ:「ちょっとムヒーブ、誰よこの人たち」
ムヒーブ:「イスラエル人の学生たちさ」
彼らは「自治区内でヘブライ語を喋らないように」と
言い渡されているらしく、
互いに交わす言葉はとても少ないまま
バスの中から外を見まわしていました。
その後、ラーマッラーの中心に着いてバスを降り、
きょろきょろと辺りを見回すヒヨコのような彼らを
ムヒーブはイスラエル人ジャーナリストに引き渡していました。
彼らはこれから街のツアーを行うそう。
その後入ったマクハー(カフェ)で、
ムヒーブは水タバコを吸いながら言います。
「あいつらは、17歳かそこらの若造だよ。
肝試し感覚で、西岸に入ってくるんだ。
危ないからヘブライ語を喋るなと言っても喋るし、
危ないったらありゃしない。
過激なやつに袋叩きに遭うかもしれないじゃないか」
確かに、彼らの赤い短髪や短い袖はちょっとパンクで、
ごみごみしたラーマッラーの風景の中でさえ浮いていました。
あの時に肝試しを終えた彼らは、
今頃、イスラエルの兵役の終盤を迎えているはずです。
(兵役拒否していなければ。)
あの時、彼らは何を見、何を感じ、
イスラエルに何を持ち帰ったのかなぁ。
二回、三回と自治区を訪ね直したのかしら。
自らに貼られたレッテルを、剥がそうとしたかしら。
それとも、肝試しで終わったのかなぁ。
と、今でもたまに思う並木でした。
主に3つの区分に分類されています。
area A、B、Cと呼ばれるそれら3つの区分は、
イ・パどちらの当局が行政・治安を担当するかが違います。
まず、A。
これは
行政⇒パレスチナ自治当局
治安⇒パレスチナ自治当局 です。
主に大都市はこの部類に入ります。
(ヘブロン協定のあるヘブロンは除く)
Bは、
行政⇒パレスチナ自治当局
治安⇒イスラエル国防省。
Cは、
行政⇒イスラエル国防省
治安⇒イスラエル国防省。
主にイスラエル人入植地がCにあたります。
それぞれの地域の入口には検問が設けられ、
パレスチナIDカードを持つパレスチナ人は、
Cに入ることはできません。
同様に、イスラエルIDカードを持つイスラエル人は
Aに入ることは許されていません。
(道路はどうなのか…というと、
西岸内では幹線道路の一部を共有しています。
でも、基本的にAに繋がる道はパレスチナ人、
Cに繋がる道はイスラエル人しか使うことができないのだそう。)
そうやってエリアが分けられている中、
検問を文字通り、巧みにすり抜けたり乗り越えたりしながら
自治区のAエリアに入ってくるイスラエル人たちもいます。
今日は、そんな人たちの話。(前置きなげぇ)
* * *
まず、よく見かけるのは平和活動家。
ビルイーン(Bil'in。ビリン、と日本では呼ばれています)や
ウンム・サルムーナ(umm salmouna、ベツレヘム付近の村)等で
壁や占領体制に反対運動を展開する人たちです。
男性も女性もいます。
その中の一人は、日本で言えばアラサーくらいの女性。
私がビルイーンでのデモを見学しに行った際に出会った彼女は、
ヨルダンでの国際イベントで再会した時に
お酒を片手にこう語りました。
「私は、家族の中に溶け込むことができないの。
私の祖母はルーマニア出身で、ホロコーストを体験したのよ。
彼女は、私に会うたびに言うの。
『なんでそんな活動をしてるんだ、やめなさい』って。
私の周りの肉親は、みんな反対してるわ。
それでも私は、これをやらなければいけない気がしているの。
やらずにいられないのよ」
他にもジャーナリストなどが西岸に入ってきますが、
私が一番驚いたのは、「肝試し学生」。
ビルイーンで仲良くなったジャーナリストのおやじ。
風呂には一週間に一度しか入らず、
穴のあいたボロボロのTシャツを着て、
ヒッピーと呼ばれるおやじ、ムヒーブ。
彼は1/4がハンガリー系ユダヤ人、
3/4がパレスチナ人だそうで、
道を歩けばイスラエル人と間違われ警戒されるような風貌。
彼とビルイーン村を訪ねた帰り、
彼の紹介で乗合バスに乗り込んできた6人くらいの若者がいました。
アラブ人ではない身なりと顔立ち。
でも外国人留学生にしては若すぎる雰囲気。
なみ:「ちょっとムヒーブ、誰よこの人たち」
ムヒーブ:「イスラエル人の学生たちさ」
彼らは「自治区内でヘブライ語を喋らないように」と
言い渡されているらしく、
互いに交わす言葉はとても少ないまま
バスの中から外を見まわしていました。
その後、ラーマッラーの中心に着いてバスを降り、
きょろきょろと辺りを見回すヒヨコのような彼らを
ムヒーブはイスラエル人ジャーナリストに引き渡していました。
彼らはこれから街のツアーを行うそう。
その後入ったマクハー(カフェ)で、
ムヒーブは水タバコを吸いながら言います。
「あいつらは、17歳かそこらの若造だよ。
肝試し感覚で、西岸に入ってくるんだ。
危ないからヘブライ語を喋るなと言っても喋るし、
危ないったらありゃしない。
過激なやつに袋叩きに遭うかもしれないじゃないか」
確かに、彼らの赤い短髪や短い袖はちょっとパンクで、
ごみごみしたラーマッラーの風景の中でさえ浮いていました。
あの時に肝試しを終えた彼らは、
今頃、イスラエルの兵役の終盤を迎えているはずです。
(兵役拒否していなければ。)
あの時、彼らは何を見、何を感じ、
イスラエルに何を持ち帰ったのかなぁ。
二回、三回と自治区を訪ね直したのかしら。
自らに貼られたレッテルを、剥がそうとしたかしら。
それとも、肝試しで終わったのかなぁ。
と、今でもたまに思う並木でした。
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