パレスチナ自治区は、オスロ合意に基づいて
主に3つの区分に分類されています。
area A、B、Cと呼ばれるそれら3つの区分は、
イ・パどちらの当局が行政・治安を担当するかが違います。
まず、A。
これは
行政⇒パレスチナ自治当局
治安⇒パレスチナ自治当局 です。
主に大都市はこの部類に入ります。
(ヘブロン協定のあるヘブロンは除く)
Bは、
行政⇒パレスチナ自治当局
治安⇒イスラエル国防省。
Cは、
行政⇒イスラエル国防省
治安⇒イスラエル国防省。
主にイスラエル人入植地がCにあたります。
それぞれの地域の入口には検問が設けられ、
パレスチナIDカードを持つパレスチナ人は、
Cに入ることはできません。
同様に、イスラエルIDカードを持つイスラエル人は
Aに入ることは許されていません。
(道路はどうなのか…というと、
西岸内では幹線道路の一部を共有しています。
でも、基本的にAに繋がる道はパレスチナ人、
Cに繋がる道はイスラエル人しか使うことができないのだそう。)
そうやってエリアが分けられている中、
検問を文字通り、巧みにすり抜けたり乗り越えたりしながら
自治区のAエリアに入ってくるイスラエル人たちもいます。
今日は、そんな人たちの話。(前置きなげぇ)
* * *
まず、よく見かけるのは平和活動家。
ビルイーン(Bil'in。ビリン、と日本では呼ばれています)や
ウンム・サルムーナ(umm salmouna、ベツレヘム付近の村)等で
壁や占領体制に反対運動を展開する人たちです。
男性も女性もいます。
その中の一人は、日本で言えばアラサーくらいの女性。
私がビルイーンでのデモを見学しに行った際に出会った彼女は、
ヨルダンでの国際イベントで再会した時に
お酒を片手にこう語りました。
「私は、家族の中に溶け込むことができないの。
私の祖母はルーマニア出身で、ホロコーストを体験したのよ。
彼女は、私に会うたびに言うの。
『なんでそんな活動をしてるんだ、やめなさい』って。
私の周りの肉親は、みんな反対してるわ。
それでも私は、これをやらなければいけない気がしているの。
やらずにいられないのよ」
他にもジャーナリストなどが西岸に入ってきますが、
私が一番驚いたのは、「肝試し学生」。
ビルイーンで仲良くなったジャーナリストのおやじ。
風呂には一週間に一度しか入らず、
穴のあいたボロボロのTシャツを着て、
ヒッピーと呼ばれるおやじ、ムヒーブ。
彼は1/4がハンガリー系ユダヤ人、
3/4がパレスチナ人だそうで、
道を歩けばイスラエル人と間違われ警戒されるような風貌。
彼とビルイーン村を訪ねた帰り、
彼の紹介で乗合バスに乗り込んできた6人くらいの若者がいました。
アラブ人ではない身なりと顔立ち。
でも外国人留学生にしては若すぎる雰囲気。
なみ:「ちょっとムヒーブ、誰よこの人たち」
ムヒーブ:「イスラエル人の学生たちさ」
彼らは「自治区内でヘブライ語を喋らないように」と
言い渡されているらしく、
互いに交わす言葉はとても少ないまま
バスの中から外を見まわしていました。
その後、ラーマッラーの中心に着いてバスを降り、
きょろきょろと辺りを見回すヒヨコのような彼らを
ムヒーブはイスラエル人ジャーナリストに引き渡していました。
彼らはこれから街のツアーを行うそう。
その後入ったマクハー(カフェ)で、
ムヒーブは水タバコを吸いながら言います。
「あいつらは、17歳かそこらの若造だよ。
肝試し感覚で、西岸に入ってくるんだ。
危ないからヘブライ語を喋るなと言っても喋るし、
危ないったらありゃしない。
過激なやつに袋叩きに遭うかもしれないじゃないか」
確かに、彼らの赤い短髪や短い袖はちょっとパンクで、
ごみごみしたラーマッラーの風景の中でさえ浮いていました。
あの時に肝試しを終えた彼らは、
今頃、イスラエルの兵役の終盤を迎えているはずです。
(兵役拒否していなければ。)
あの時、彼らは何を見、何を感じ、
イスラエルに何を持ち帰ったのかなぁ。
二回、三回と自治区を訪ね直したのかしら。
自らに貼られたレッテルを、剥がそうとしたかしら。
それとも、肝試しで終わったのかなぁ。
と、今でもたまに思う並木でした。

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